ニュース - 2020年09月15日

世界のスポットライト:日本

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parkrunファミリーは世界22か国から成り立っています。その中からいくつかの国について詳しく見ていきましょう。

 

今回は日本です。どのようにparkrunが開設され、普及していったのかお話しましょう

 

こんにちは、parkrun Japanの岡田です。私は日本第二の都市である大阪で生まれ育ちました。20代半ばでオーストラリアに移住し、在豪18年になります。

 

故郷の大阪市は人口約270万人の活気にあふれたフレンドリーな都市ですが、人口約1,4000万人を有する東京都と比べると大きくはありません。首都圏ともなると日本の総人口の3分の1近い約3,700万人を有し、世界で最も人口密度が高い都市圏となっています。日本領土は6,852の島々から成っており、国土のおよそ4分の3は山岳地域です。

 

2018年の暮れ、parkrunが日本で翌年立ち上げされると知ったとき、私は多くの日本人がより健康で幸福な毎日を過ごせるようになる良いきっかけになると思いました。しかし、それは多くの人が考えるものとは異なる理由からでした。

 

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日本はGDP(国内総生産)が世界第4位を占める豊かな国で、世界一の長寿国として知られています。平均寿命は女性が88歳、男性が81歳です。100歳以上の国民は6万人を超え、最高齢者は115歳です。加えて先進国の中で最も心疾患と認知症の発症率が低い国となっています。

 

これらの良好な健康状態に関してはいくつかの諸説があり、健康的な食生活、70年にも及ぶ国の保健医療への大いなる投資、公衆衛生キャンペーンの成功、衛生意識の高い文化、そして歴史的に見ても多くの人たちが定年後も経済的必要性からではなく自らの希望で引き続き労働を継続していること、などが挙げられています。

 

当然ながらこれらの傾向の裏を返せば、数多くの人たちが社会的孤立や鬱病に悩まされているという現実もあり、それはすべての年齢層に見られることです。

 

元来日本では家族間で2世代または3世代に渡って強い絆で結ばれてきました。日本社会で子供世代が年老いた親世代の面倒を見てきたというのがその一例です。しかし、この文化は変化しつつあります。

 

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社会的孤立の問題はあまりに大きくなり過ぎたため、今では「ひきこもり」という正式な呼び方ができてしまったほどです。「ひきこもり」とは社会や家族から自らを孤立させ、半年以上続けて自宅に閉じこもってしまう状態を指します。彼らは仕事や学校に行きません。日本政府は国民の100万人以上がひきこもりに分類されると見積もっていて、その半数は18歳以下の若者です。

 

更に日本の自殺率は先進国で6番目に高く、20-44歳の男性ならびに15-34歳の女性の死因の第一位となっています。

 

残念ながら影響を受けているのは若い世代だけではありません。日本の高齢者人口の割合は世界で最も高く、65歳以上が全人口の4分の1を占め、2050年までにこの割合が3分の1にまで上昇すると見込まれています。一方で、出生率は大変低く、紙おむつで比較すると成人用の売り上げが赤ちゃん用を上回っているのが現状です。そして、ペットの数が子供の人数を上回っているのです。

 

高齢者の多くは集合住宅で生活していますが、社会から孤立し、孤独を感じています。高齢男性の15%は一人暮らしをしていて、他人と会話をすることは2週間で一度以下という統計が出ています。近年メディアにおいて高齢者が故意に犯罪を犯し逮捕されるというニュースがいくつか取り沙汰されてきました。これは刑務所内の方が友人関係を築きやすいからだと考えられているのです。

 

このような理由も含め、日本人が家族や地域社会と繋がる、または再度繋がることを手助けするためにも、parkrunが楽しく支援的な環境を提供していくことは非常に重要だと強く感じています。また日本でparkrunが健康面また社会面の改善に大変有効な介入方法の一つとなることを願っています。

 

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parkrunに参加し始めたきっかけは、参加者それぞれ異なると思います。私の場合、20代半ばでオーストラリアに移住し、大学で栄養学を学び、夫と出会い、ちょうど私たちに2番目の子供が生まれたばかりの頃のことでした。当時の私が一番望んでいたことは家から外に出て息抜きすることだけでした!

 

そんな時、私はネットでparkrunの存在を知りました。「毎週行われる計時5キロの無料イベント」というあまりに出来過ぎた話に、最初はカルトか何かではないかと疑ってしまいました。何か裏があるのではないか、ものを売りつけられるのではないか、とさえも思ってしまいました。

 

初参加の朝は、周りに知り合いもいなく、走るのが速い人たちばかりなのではと、とても不安に思いましたが、行ってみると皆がフレンドリーで笑顔に溢れているのを見て安心したのを覚えています。そして私はすぐにparkrunの虜になり、parkrunコミュニティの一人となりました。近頃ではparkrunは私にとって家から出て息抜きをする場というよりも、家族や友人たちとの社交の場となりました。

 

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2019年1月のparkrunニュースレターで、parkrun本部チームで日本語が堪能なスタッフを募集している記事を目にした時、とても興奮しました。そして、この仕事のオファーをいただいた日は、私の人生で最も幸せな一日となりました。それは、この先たくさんの人たちがより素敵な毎日を過ごせるようお手伝いする機会を与えてもらったと感じたからです。

 

仕事を始めた当時、日本でのparkrun立ち上げ迄わずか8週間と迫っていたため、やらなければならない事がたくさんありました。

 

parkrun Japan発足のプランはその時点で2年以上も進行中でした。住友生命が日本でのparkrun設立の可能性を打診したのは2017年10月のことでした。当時の住友生命は、Vitalityという健康増進を応援するプログラムをスタートさせるための準備中でもありました。既に南アフリカとイギリスでparkrunはVitalityと強い結びつきがあったことと、parkrun本部が日本での発足に興味を示していたこともあり、そこから話は進んでいきました。

 

住友生命からの代表者数人がロンドンにあるDulwich parkrunを訪れてparkrunを直接体験し、その後parkrun UK とparkrun Australiaの代表者が東京で住友生命の代表者と会い、いくつかの候補地を訪れたりとparkrun Japan設立に向けて尽力することに興味を示してくれた数多くの人たちと触れ合う機会を持ちました。

 

こうして、2019年4月6日の二子玉川parkrunの初開催をもって日本は21番目の開催国としてparkrunファミリーの一員となりました。

 

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日本にparkrunが誕生した時のことは私にとって忘れられない出来事の一つとなりました。4月の第一週というのはご存知の通り日本では始まりの季節にあたり、桜の花が咲く中、小中高生は新年度を迎えて進級し、卒業生は大学進学や就職で新生活をスターとさせます。まさにparkrunの立ち上げに最適な時でした。

 

初開催イベントのブリーフィングが始まるまで、私はとても緊張していました。でもparkrun創始者のポールとオーストラリアとイギリスのparkrunから駆けつけてくれた同僚たちと共にスタート地点の向かいのマウンドに立つと、すぐにそんな心配は吹き飛んでしまいました。そして、話し始めるとparkrunに対する情熱、感動、感謝の気持ちが心の底から溢れ出てきました。用意していたメモを見ることすら一度もありませんでした。愛する祖国日本の人たちとparkrunのすばらしさを共有することができることを本当にうれしく思いました。日本の鉄道システムは平均わずか「18秒」の遅延しかなく世界で最も時間に正確だとして知られていますが、日本初のイベントが「18分」遅れでスタートしたことすら誰も気にしていませんでした!

 

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初開催当日はたくさんの笑いと笑顔にあふれていました。オーストラリアから訪れていたparkrunツーリストの一人は、ボランティアの役割名称をGoogleで日本語に翻訳してみるとおもしろい結果にたどり着いたと教えてくれました。Timekeeper (時間計測担当者)、 Tail Walker (最後確認役)、First Timer’s Brief (初心者説明担当者)などがその一例です。人々がより健やかで幸せな日々を過ごせるようにに貢献するという共通の目的の下、様々な言語、文化、経験から成るparkrunという世界的動向の一部として関われることは大変光栄なことです。

 

初開催の翌日、住友生命との夕食会がありました。約20名ほどが参加していたのですが、その中の一人の男性が私に話しかけるためにテーブルの向こう端から近づいてきました。彼は前日のイベントの事前説明がすばらしかったと伝えてくれました。他の街から最近東京に転勤してきたばかりで、少し寂しさとストレスを感じていたそうなのです。そして彼は私の言葉に励まされたと言ってくれましたが、私は彼のその言葉に逆に励まされた気がしました。なぜなら、日本でparkrunが既に一人の人をより幸せな気持ちにすることができたということは、今後さらに多くの人たちの幸福度の向上にも貢献していくことができると感じたからです。

 

その後2週間にわたって私は日本のその他のイベント候補地がある都市や地方を訪れ、イベントチームと会いました。これらの人たちと会って話が聞けたことはとても貴重な経験でした。 世界のどこにいてもparkrunのことを話し始めると初対面でも人生経験を共有してくれることは心が温まるものです。

 

二子玉川parkrunの立ち上げから2か月後、千葉で柏の葉parkrunが、そしてその翌週には私の故郷である大阪で深北緑地parkrunがそれぞれ初開催を迎えました。

 

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立ち上げされた3か所の新イベントの次は9月、東京から北に75kmの栃木、群馬、埼玉の三県境近くに位置する渡良瀬遊水地parkrunでした。

 

その後、九州の宮崎市にある大淀川市民緑地parkrunが初開催を迎えました。宮崎は日本の観光客にはリゾート地として人気があり、年間を通してサーフィンに好条件な場所して知られています。

 

このイベント立ち上げの発起人は、2014年にイギリスで母親と共にparkrunに出会ったセーラ・バーネスさんでした。大学生活中もずっとparkrunを続けた後、英語を教えるために来日した彼女は、parkrunのない生活だけでなく、両親より先にparkrun マイルストーン100クラブに到達したいという目標に立ち向かうこともできなくなり、寂しさを感じていました。セーラさんは二子玉川で記念すべき日本初のイベントに参加し、第二の故郷の宮崎にもparkrunを開設しようと決意したのでした。

 

「宮崎は歓楽街や繁華街で溢れる東京からは遠く離れていますが、ここにしかない魅力がたくさんあります。美味しい食べ物、美しいビーチ、そして私が今までに会ったことがないほど親切な人たちがたくさんいるここ宮崎は、確実に私が日本で一番お気に入りの場所です。」とセーラさんは言います。

 

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宮崎でのイベント立ち上げから2週間後、四国の松山市にある堀之内公園parkrunが初開催を迎えました。松山市は道後平野の北東部に位置していての、人口50万人を超す四国地方で最大の都市です。この街は古くから温泉地として有名で、1894年に建てられた明治時代の木造建築の共同浴場、道後温泉本館があるのもここ松山です。

 

その翌週、淀川河川公園枚方地区parkrun(少し長い名前ですが)が大阪で初開催を迎えました。

 

10月12日には、しまなみアースランドparkrunが四国の北端に開設されました。このイベントは、公園内の舗装路とトレイルを3周走るコースから成っています。共同イベントディレクターのアンジェラさんと智文さんは元イギリス在住のご夫婦です。アンジェラさんはイギリス出身ですが、智文さんのご両親の近くで生活するために二人で日本に移り住まれたのでした。90代の智文さんのお父様は、ほぼ毎週欠かさず着順トークン配布係のボランティアとしてイベントに参加されています。

 

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11月30日に開設された静岡の広野海岸公園parkrunは日本の南岸部に位置していて、富士山の眺めを堪能できるイベントです。このイベントは、駿河湾の岸辺にある広野海岸公園の周囲を5周するコースから成っています。

 

それから人口230万人を超す名古屋にparkrunが開設されるのは時間の問題でした。12月7日、大高緑地parkrunはparkrunファミリーの一員となりました。

 

名古屋には1954年に建てられた日本最古の電波塔があり、夜間のライトアップのきらびやかさから「雷のように光り輝く塔」として知られています。塔の高さは180メートルで、2つの展望台と共にレストランとギャラリーもあります。この塔が一番有名なのは1964年の「モスラ対ゴジラ」の映画内でゴジラがこのテレビ塔を破壊しているシーンを通じてかも知れません。その28年後にはリメイクの映画の中で再びこの塔が倒されてしまいました!

 

高松市のさぬきこどもの国parkrunも同じく12月7日に開設されました。このイベントのコースは市内の国内線空港のフェンスの反対側にあり、ちょうど滑走路と平行になっています。高松は夏は暑く冬は涼しい亜熱帯気候の地域です。

 

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さぬきこどもの国parkrunの初代イベントディレクターのお二人がparkrunに関わり始めたきっかけは、対照的ですが興味深いものがあります。

 

イベントディレクターの一人、福留アンジェラさんは旦那さまが日本人で三人のお子さんがいます。イギリスから家族で日本に移住した当初、主婦だった福留さんには近所に誰も知り合いがいませんでしたが、街の活発な高齢者の方々に英語を教え始め、今では小中高校や大学でも教えるようになり、時にはイギリス文化を紹介するセミナーやワークショップも開いています。現在の福留さんは地域でとても活発に活動される存在となりました。

 

福留さんと共同でイベントディレクターをされていた田口享さんは、parkrunのスポンサーである住友生命の社員の方でした。ですが、parkrunを知って興味を持ったのは勤務先からではなく、SNSを通じてのことでした。地域社会が主体となって活動するparkrunのコンセプトに感銘を受けたのです。地元を離れて高松で単身赴任中だったため、孤独を感じ、地域とのつながりも持てずにいたのです。田口さんは福留さんと協力して、parkrun開設に必要な許可を取るために地方自治体と6か月もかけて交渉しました。そのような経緯もあり、初開催イベントが行われた際に自治体の代表者が参加してくださったのは喜ばしいことでした。

 

その後、田口さんは別の地へ再度単身赴任され、現在また新たなホームタウンにparkrunを開設できる場所を探している最中です。

 

12月14日に開設された長良川公園parkrunは産業都市である岐阜の濃尾平野の端にあります。地理的に日本の中心部に位置するため、岐阜は日本の歴史上でも重要な役割を果たしてきました。

 

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2020年に入り、名城公園parkrunが今年初の新イベントとして開設されました。

 

このイベントの開設にあたり、中心となったのは関優子さんでした。関さんはちょうど地元のランニングイベント等で走り始めたばかりの初心者市民ランナーでしたが、レースの度に6歳の息子さんの子守り役を探すのに苦労していました。その上、それらのイベントにエントリーするには参加費がかかりました。

 

ある日、オンラインで「無料、走る、家族、子供」というキーワード検索してみると、parkrunにたどり着きました。parkrun Japanにすぐにメールで問い合わせ、自分の好きな地元の公園にparkrun を開設できないものかと打診しました。

 

その頃は、住友生命ととあるランニングコーチが大高緑地でparkrun を開設の準備をしている時で、関さんはこのチームに召集されましたが、どうしても自分の地元のお気に入りの公園でparkrun を広めたいという情熱があり、公園の管理事務所との話し合いの結果、すぐに許可を取ることができ、名古屋市内に2つのイベントが誕生することになりました。

 

関さんは女性たちが子供と一緒にイベントに参加するのは大変だということをよくわかっているので、自分と同じようなママ達や家族にも身近で気軽に参加できるparkrunを勧めています。

 

名古屋市内の2つの既存のイベントから新たに3つのイベントが生まれようとしています。2か所はparkrun再開が決まり次第初開催を迎える予定で、あとの1か所は現在準備中です。これら愛知県のイベントは各チームがボランティアで行き来しながら助け合って、地元のparkrunコミュニティを盛り上げています。

 

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東京都練馬区の光が丘公園parkrunが初開催を迎えたのは2月29日のうるう日で、この日初開催を迎えた国内で唯一のイベントとなりました。(少なくともあと4年はこの栄光を独占することになります!)

 

イベントディレクターの小林将人さんは日本初のイベントである二子玉川parkrunの立ち上げイベントの参加者の一人でした。小林さんは娘さんが大きくなるにつれて一緒に過ごす機会が減り、土曜の朝は友人達と山登りに出かけるようになっていました。

 

小林さんはparkrun Japanにメールで近所にイベントを開設できないかという問い合わせをし、少しずつ準備を進めることになりました。出張で地方へ出かけることがあると近くのイベントに参加するため一晩多く滞在したり、時にはparkrunイベント参加のためだけに遠くまで足を運ぶこともありました。これまで国内のほとんどのparkrun イベントに参加しています。広野海岸公園parkrunの初開催では、当日の土曜日、午前2時に起きて最寄り駅まで自転車を走らせ、始発の新幹線に乗ってイベントに来てくださいました。4月以来の私と小林さんの思い出深い再会ともなりました。

 

これまでparkrun で出会った人たちと小林さんは地元で自分の子供と同年代のメンバーも含めた幅広い年齢層のボランティアチームを結成しました。このチームでほぼ毎週末10か月にも渡る長期間、parkrun開設に向けて2つの公園の調査やテストを継続しました。こうして紆余曲折を経てようやく初開催を迎えた光が丘公園parkrunでしたが、わずか2回のイベント開催後に新型コロナウイルス感染症による自粛でイベントは一時中止を余儀なくされてしまいました。しかし、逆境に負けず、地域とのつながりを絶やさないためにも小林さんはイベントのFacebookページに毎週土曜日に投稿を続けています。

 

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日本でのparkrun初開催から一時中止の決定が下るまでの11か月間で、5,300名の方々が14か所のイベントで合計約20,000回のウォーキング、ランニング、ボランティアに参加されました。そのうち447名は18歳以下、188名は65歳以上の参加者でした。また、全てのフィニッシャーのうち17%はウォーキングによる参加者で、平均フィニッシュタイムは1時間11分となっています、このことから、運動経験に関係なく、多くの人たちがparkrunに参加することを通じて地域社会とのつながりを深めていることが既に立証されていると言えます。

 

新型コロナウイルス感染症に関する規制が緩和され、parkrun再開の目途が立ち次第、国内で新規イベントの開設が7ヶ所決定しており、他にも開設検討中のイベントが11か所あります。そして、日本、オーストラリア、イギリスに在住の7名の翻訳ボランティアの方たちがparkrunのマニュアルやブログ記事の和訳に尽力してくださっています。

 

参加者の一人ひとりの経験談は、parkrunコミュニティの一員であることを誇りに思わせてくれます。私たちが愛するparkrunイベントが再開された折には、それらの経験談がparkrunを通じて人々がより健康で幸福な日々を過ごせるように多くの人々を勇気づけることを願っています。

 

いつになるかまだわかりませんが、日本でのイベント再開が可能な日を迎える際には、parkrunが 「日出ずる国」の新たな夜明けの象徴となってくれることでしょう。

 

今後もぜひ、parkrunを楽しんでくださいね!

 

Chiaki Okada (parkrunner A2631954)

 

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