フィードバック - 2023年04月04日

僕の大切な居場所

Sumitani eyecatch

大阪府堺市で開催される原山公園parkrun。障がいをお持ちの方も他の参加者と分け隔てなく受け入れ、どなたの参加も歓迎するparkrunの存在は、いつしか多くの参加者の「大切な居場所」になっているようです。

 

イベントディレクターの川口まりこさんから、参加者の一人である炭谷 修平さん(A7897166)が参加したきっかけと、彼を含めたparkrunコミュニティとの関わりを通じて今ではparkrunを愛してやまないファンになられた経緯を聞きました。

 

炭谷さんがparkrunに出会ったきっかけは?

 

原山公園parkrunのイベントディレクターである私がキッチンカーやハンドメイドのお店が集まるマルシェイベントに出店していた際、炭谷さんがふらりと立ち寄られました。私が活動しているパトラン泉北メンバーを紹介した際に、メンバー募集のSNSの中でparkrunのことを知ったそうです。

 

Shuhei_First parkrun

 

初参加はparkwalkerに応援されながらのフィニッシュ

 

炭谷さんが初めて参加してくださったのは、まだまだ暑い2022年10月でした。この日は世界中のparkrunでparkwalkerボランティアの役割が導入された初日で、parkwalkerの方と炭谷さんはずっと楽しく会話をしながら歩いて参加されました。コース途中でもコース誘導係のボランティアと一緒に写真を撮ったりもしながら、二人で1時間7分かけてフィニッシュ。2人の笑顔はとても印象的でした。

 

炭谷さんは当時「水筒を持ってきてなかったので、正直、暑くて疲れました。」と話していました。parkwalkerの方もコースの途中で「炭谷さん。暑くてしんどそうだし、今日はこれくらいにしましょう。parkrunは毎週あるから、次回参加する時に5キロ全部しても大丈夫ですよ。」って話をされたそうです。

 

頑張ってフィニッシュした炭谷さんに聞くと、「その時点で3キロを越していたし、最後までやってみたいと思ったので、parkwalkerさんに励ましてもらいながら一緒に最後まで歩いた。終わった時はとても嬉しかった。」って仰ってました。

 

Harayama koen parkrun_29102022

今ではparkrunが自分の大切な居場所に

 

炭谷さんは初参加のフィニッシュ後、「再来週にまた参加します。」と言って帰って行ったのですが、私は炭谷さんはもうparkrunには来ないだろうなと思っていました。とても疲れた様子でフィニッシュした炭谷さんの印象を思い返しても、炭谷さんがparkrunを大好きになるとは思えなかったんです。

 

しかし、川口さんの予想をいい意味で裏切った炭谷さんは再来週どころか次週も参加。大のparkrunファンになっているそうです。

 

「初めて参加してみて楽しかった。みんなが応援してくれることが続けて参加するモチベーション。自分の健康のために参加している。そして何よりparkrunに参加している人たちと話をすることが一番の楽しみ。」と話す炭谷さん。

 

「ボランティアとして、自分でもできる役割があるんだと思った。今ではparkrunが大切な自分の居場所になっている。」と、parkwalkerのボランティアとして参加したりとparkrunを存分に楽しまれています。さらに最近は、お友達を連れて一緒に参加することもあります。

 

Shuhei_parkwalker

 

炭谷さんが加わったことで参加者同士のコミュニティが一層深化した

 

日々、原山台にある自宅から作業所に自転車で通勤するのが日課の炭谷さん。自転車を駐輪する場所からは原山公園parkrunのスタート、フィニッシュ地点が見えます。

 

原山台付近に住む人が多く参加する原山公園parkrun。駐輪場で働く方の中にもparkrunの参加者(実はとても速いランナーでもあるそう)がいて、炭谷さんに「おー!炭谷くんやないか!」と声をかけ、会話が広がることもあるそうです。

 

parkrunで炭谷さんを知った地元の方々からも出勤途中の炭谷さんに「いってらっしゃい!」と手を振る場面もあるとか。

 

「炭谷さんの存在が、私たち原山公園parkrun参加者同士のコミュニティ・繋がりをより一層深いものにしたように感じています。私自身もそれがすごく嬉しいし、幸せに思います。」と川口さん。

 

川口さんに聞くと、炭谷さんにはさらに素敵なエピソードも生まれたようです。

 

「parkrunの途中、炭谷さんにランナー気質のボランティアが何やらアドバイスをしたそうです。すると、炭谷さんにスイッチ!が入ったのでしょうか、彼がいつも肌身離さず持っている大きなバック(炭谷さん的には精神的安心感の拠り所として持っている、ある意味トレードマーク。)を突然置いて走り始めたんですよ。『炭谷さんが(バッグを置いて)走った!』って感じで、全員が炭谷さんを応援した日がありました。」

 

Shuhei finish_13032023

 

「ほんま楽しい。いろんな人たちに会える。関わることができて嬉しい。」

 

いつしか炭谷さんの心の拠り所は、大きなバックから原山公園parkrunに変化したのでしょう。parkrunの存在が炭谷さんの背中をそっと優しく、そして力強く前に押したのです。

 

20230204-20230204-075019-0

 

原山公園parkrunを広報面で支える堺市役所の職員の方は、障がいのある女の子を連れて参加するなど、多様なバックグラウンドを持つ参加者でさらに広がりを見せる原山公園parkrun。

 

「多様な人同士が繋がる、とても素敵なコミュニティを創れたこと、続けていくことが私自身の幸せでもあります!」と笑顔で話す川口さんの表情に原山公園parkrunの魅力が溢れています。

 

 

#loveparkrun

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