ジャネット・リービッヒさんは熱心なparkrun参加者で、昨年の夏、乳がんと診断されるまで毎週土曜の朝はparkrunに参加していました。parkrunコミュニティが彼女の人生にとって重要だと気付いたのはその数週間、数か月後のことでした。
エクササイズは私にとって常に大切なものです。私の夫アレックスは数年前煙草をやめランニングを始めたので、私もいつの間にかついて行くようになり楽しさを感じるようになりました。
私も過去は喫煙していましたが、初ハーフマラソンのあと禁煙しました。常にアレックスのあとを追っていましたが、全然嫌ではありませんでした。
私たちは地域のランニングクラブに参加し、そこでランニングパートナーのハンスと出会いました。新聞記事でマンハイムのNeckarau parkrunを見つけたのもハンスで、定期的に参加するようになりました。素晴らしいコミュニティなのでカールスルーエのSpeyer Leinpfad parkrunとOberwald parkrunにも時々参加しています。
乳がんと診断されたとき、初めは何人かにだけ内緒で伝えました。「まずはどうなるか様子を見てみよう」と思いました。
変に思うかもしれませんが、初めのころ最も嫌だったのは髪が抜け落ちる恐怖でした。やがて抗がん剤治療で髪が無くなったとき、みんなに分かるようになりました。
抗がん剤治療中の私を支えたのはparkrunでのランニング、それはのちにウォーキングとなりました。
哀れみのまなざしや嫌な顔は見たくありませんでしたが、結果的にそうはなりませんでした。自分が受け入れられていると感じ、parkrunコミュニティはとてもポジティブでやる気を与えてくれ、快適でした。多くの人に支えられ、そのままの自分を受け入れてくれていると感じました。
私は前を向き、出来る限りウォーキングを続けようとしました。その後、治療が進むにつれ走るスピードは遅くなりましたが、ほぼ毎週土曜日はparkrunへ行っていました。
だんだんと歩くスピードが遅くなっていくことは初めは辛いことでしたが、病気ではあったけれど体を動かし続けたことは良いことだと思っています。
parkrunでたくさんの素晴らしく優しい人々と話すことができ、これまでに多くの人が付き添ってくれました。夫のアレックスとランニングパートナーのハンスは私をよく見守ってくれ、前に進むために常に励ましてくれました。
parkrunの皆さんは私の回復に非常に貢献してくれ、化学療法をやり遂げる後押しをしてくれました。ありがとうございます!
ジャネット
#loveparkrun
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